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新体操の歴史

新体操って、最近のものというイメージが強くありませんか?ところが、その歴史は意外にも古いのです。歴史をたどっていくとバレエとの深いつながりがあるんですよ。

新体操の原点ともいえるバレエのことやドイツ生まれの体操のことなどを通して、新体操の歴史を紹介していきましょう!

 

新体操はバレエから始まった!?

新体操の歴史は古く、20世紀はじめにロシアで始まったといわれています。新体操の歴史というと、世間一般に知られているのはドイツで生まれたものだということ…。けれど、それ以前に当時のロシアで親しまれていたバレエをもとにした芸術体操がルーツだとわかったのです。

芸術体操(またはスポーツ)とよばれる新体操の選手は練習の一環として、バレエのレッスンをしたりもしているんですよ。また、新体操選手のほかに、フィギュアスケート選手やシンクロナイズドスイミングの選手もトレーニングに新体操を取り入れています。ロシアやウクライナなど東欧諸国の選手がこういった芸術性のあるスポーツに強い理由はここにあるんですね。

ロシアのバレエ

ロシアでは17世紀には職業舞踊家が 出現していました。1738年には宮廷にバレエ学校が建てられました。19世紀に入ると、フランスの有名バレリーナを招いて公演が行われていました。こうしてロシアではバレエの人気が広まっていきました。

そんなとき、現代のクラシック・バレエの基礎を築いた人として知られているバレエダンサーのマリウス・プティパが登場しました。彼はバレエダンサーとしてだけではなく、振付師としても活躍していたんですよ。チャイコフスキーとの共作で「眠れる森の美女」(1890)を発表して大成功をおさめました。この作品は現在も世界各地で上演されて、人気を集めています。

そのほか、「くるみ割り人形」「白鳥の湖」もプティパの振付とチャイコフスキーの作曲によって完成した作品です。のちに、このロシアのバレエはクラシック・バレエとよばれるようになりました。マリウス・プティパの功績でロシアのバレエは世界に誇れるものになったといえるでしょうね。

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ドイツ発祥の体操

新体操は今のスタイルになるまで、さまざまな変化を遂げています。クラシック・バレエの次に新体操のモデルになったのは、1920年代のドイツ発祥とされるModern Gymnastic(現代体操)といわれています。現代体操は「ドイツ体操」という言い方もされています。

はずむ・歩く・走る・跳ぶ・振る、この5つが基本形態になっています。これはドイツ人のフリードリッヒ・ルートヴィヒ・ヤーンが1811年に考え出したものです。なかでも平行棒などの道具を使った器械体操が有名ですね。彼は、「ドイツ体操」の父とも呼ばれています。

その後、1950年に初めて世界選手権で女子競技の一つとして行われました。その4年後に使用する手具が決められ、1963年にはModern Gymnasticという名称で第1回世界選手権が開かれました。1977年以降はRhythmic Sports GymnasticsとかRhythmic sportive Gymnasticとされていたので今でも「RSG」と略すことが多いですが、1998年からはRhythmic Gymnasticsと呼ばれるようになりました。


日本に伝わった新体操

日本では「新体操」という呼び名が付いていますが、なぜそう呼ばれるようになったのでしょう?それは1968年に開かれた全日本新体操学生選手権に由来します。これまでにはなかった新しいタイプの体操ということで付けられたのかもしれませんね。

1977年の大会では床から手が離れない「準アクロバット」と呼ばれる新しい演技も出てきました。この頃から、しだいに今のような高度な手具さばき、柔軟性などが求められるようになっていったのです。

こうして新体操は1984年のロサンゼルスオリンピックからオリンピックの正式種目となりました。

さらに日本オリジナルの競技として男子新体操というものもあります。ちなみに、こちらはオリンピック種目ではありません。

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